将来不安を解決するための投資・資産運用に関する情報サイト

2019年5月

過去のコラム

「平成」のライフプランから考えること

画像の説明

日本を経済の側面から見て、「平成」はバブル崩壊で始まり、ずっと終わることのない「デフレ」一色の時代だったと言えそうです。

ある平成生まれの銀行員と話をしたとき、

   インフレという言葉は知っているが全然想像がつかない...
   為替は常に円高だと思っていて、円安になることはないと思っていた...

と言っていました。

また若者を含め、いまの40歳代より下の方々は、いまの生活水準を上げることよりも、何とか現状維持を求めるほうが強いようで、年金不安はあるものの、一生働くという意識のほうが強く、老後は悠々自適優よりも働き続けることをイメージしているようです。

車を求めず海外旅行も行かず、海外赴任は拒否する若者が増えたと言われていますよね。

「平成」はまさにデフレとともにあった時代であり、全てのサイズ、夢や実態生活や考え方や希望が「縮小」していった時代だと感じています。

すべてがダウンサイジングしたということが、「平成」という時代を象徴していると思われます。

昭和のライフプランが成り立たない、「昭和」は拡大の時代で、まさに「大きいことは良いことだ」が昭和を象徴していると思われますが、「平成」は拡大よりも現状維持を求め、何でもかんでもスモールパッケージが好まれる風潮にあったと思えてなりません。

それはダイエットでもなく節約とは意味合いが違っていて、つまりスリム化に苦痛を感じないところが、昭和の人たちから見て「奇異」に思えるのではないでしょうか。

どうもそのあたりに「昭和」と「平成」の時代間ギャップの本質があるように思えてなりません。

「平成」での価値観は、日本経済縮小とともに培われたものと感じられます。

日本経済は出口が見えない衰退状態となっているにもかかわらず、多くの若者は無関心でいられる背景に、自分の回りの世界だけで精一杯という感情があるのではないでしょうか。

生活苦からの反逆が昭和なら、生活苦はあるでしょうが、それを強くは感じないでいて、むしろいまの現状を受け止め、その範囲内でできることを考えようという発想が強く、生活苦からの反逆心が生まれてこないから、経済衰退や政治行政の退廃に無頓着でいられるのかもしれませんね。

比較対象が「平成」の若者にはなく、親にも社会の大人たちにも、未来像を見ることができない社会風潮もあるのでしょう。

昭和の人はそれを「閉塞感」と表現するのでしょうが、「平成」では当たり前の現象なのかもしれません。

そのことが決して「平成」の時代を生きる人たちは「不幸」とは捉えていないのでしょう。

昭和のライフプランは、
    子どもは大学に行くのは当たりまえ。だから教育資金を準備しなければ...
    就職したらいずれは結婚、結婚したら家を買うのは当たりまえ...
    車は一家に一台...
    結婚したら子どもは生んで育てることが前提...
    定年まで働いて、退職金と年金を大事にする...
    一家の主の死亡に備える生命保険に入るのは当たりまえ...
    長期入院に備える医療保険は当然、学資保険は無条件...

これ、全て「平成」の時代では崩れてきていますよね。

「令和」時代の期^ワードは、まちがいなく「AI」です。

それはインフラに置いての自動化であり効率化であり、それをロボットが実現するなど、人の手を通さずにできる世界となっています。

ただ言えることは、「令和」は「平成」の時代に“若者”だった人たちが主導権を握る時代になるわけです。

それは「平成」の価値観を「令和」が引き継いでいくことになるのかどうかはわかりません。新しい価値観が生まれてくることも考えられます。

ただ行動をおくすにも夢をかなえるにしても、ある程度の資金力は求められるわけで、もちろんクラウドファンディング等の多様な資金獲得手段はあるものの、給料の範囲で生活をして、給料以外の収入で夢実現等の動きを行うという考えは、どこかで持っておいたほうが良いと思います。

投資は、給料以外の収入確保手段としては、入りやすい方法かと思いますし、個別の特殊な能力を強く求めないところが受け入れやすいかと思います。

なにより元手が投資額以外にはかからないところは魅力です。

確定拠出年金制度で投資を勉強して、自らの夢実現のための投資を行う準備とする考え方はいかがでしょうかね…

powered by Quick Homepage Maker 5.3
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional