将来の不安を安心に~人生100年時代 を共に考えよう!~

「不安」の正体はなんなのか…

不安」という言葉をより深く因数分解していき、もうこれ以上たどりつけないというところまで掘り下げていくと、それは「お金」という概念にたどり着くようです。

つまり「不安」の正体は、突き詰めれば「お金がない」ということから生じるものだと考えられます。

それは、今は「お金」があっても、将来に渡ってお金を得る手段が見えないことも「不安」を招きます。

収入曲線が今から未来にかけて、ずっと描くことができれば「不安」は生じないものですが、どこかで途絶えるとか、収入曲線が見えないでいる状況なら、常に「不安」を抱えていることになると思われます。

もちろん「友人がいない」「家族がいない」といった、人とのふれあいを求める部分にも「不安」の種は存在するでしょう。本当の意味での「孤独」は、やはり耐えられないものがありますからね。

何らかの形でコミュニティーと関わっていればまだ救われますが、そのコミュニティと触れ合うにも「お金」が必要になってきます。

どんな表現をしようと、物理的であれ精神的であれ、「豊かさ」を支えるのは「お金」であり、「お金」の裏付けがあって「不安」は解消されることだと言えそうです。

言い換えれば、「お金」がもたらす生活の安定が「不安」を取り除き、そこから生まれる“精神的余裕”から、生きがいを求めることができるということで、やっぱり「お金」の存在が“精神的豊かさ”へと繋がっていくようですね。

「お金」だけで“豊か”な老後が過ごせるわけではない…

ただ、「お金」は“豊かな”老後を過ごすには絶対に必要なものですが、お金さえあれば“豊かな”老後を過ごすことができるかと言えば、それには疑問符が付きます。

「豊かさ」を追求するには、
   「お金」だけでは不十分だ、お金以外の要素も必要になる…
ということです。

「豊かさ」を求めるのに「お金」は絶対に必要ですが、「お金」があれな十分といえばそれだけでは足りないものがあるということですね。

人生100年時代と言われます。

それは単に、100歳まで長生きするということではありません。

「“豊かに”生きる」ことの前提は

  • 健康であること
  • やりたいこと(あるいは“やりがい・生きがい”があること)があること
  • お金にゆとりがあること

この3つのことが揃って初めて、人生に“豊かな”という形容詞をつけることができるのではないでしょうか。

極論を言えば、健康でやりがいを感じていれば、お金はさほど重要ではない、ある程度の量があれば良いとも言えそうです。

「100歳まで生きる」とは、“豊かな老後を過ごす”ための時間を長く持つことができるようになったと考えるほうが良さそうで、単に100歳まで死なないという、医学の進歩で寿命が伸びたと考えるのとは違うような気がしますね。

いかに生きるか、いかに楽しむか…がとても重要になってくると思います。

「健康」と「やりがい」は生きる活力になり、「まだまだやりたいことがあるから死んでなんかいられない」という発想が大事なのでしょう。

ここが「人生100年」の最も重要な「“肝”の部分」です。

そのためには「利己」を求めることよりも、「他己」という使命感に似たものを追求することのほうが、より強く生命を支えてくれるような気がします。

何よりも「使命感」が、人生のモチベーションを高めてくれます。

今までの経験を社会に活かす…

経験を資産として社会に提供する(貢献する)…

という考え方を持つことで、社会との接点を強く持ち、それが“豊かさ”の部分を大きく膨らませてくれるものだと考えます。

それを見つけることができれば、より豊かな人生を迎えられると思います。

新型コロナウイルスは老後生活計画を破壊

しかし、その「利己」から「他己」への思いになるには、やはり安定した経済力がなければたどり着けないのも事実です。

生活するのに“めいいっぱい”で、自分が生きることだけで精一杯で、人のことを考える余裕はないという老後の過ごし方だと、とても“豊かさ”を求めるまでにはいかないでしょう。

なんとか生活を切り詰めて過ごしているというのが、多くの人にとっての“現実”なのかもしれません。まだまだ老後は先の話という人たちにしても、どこかでこのような現実を、覚悟しているところはあるのかもしれませんね。

新型コロナウイルス感染拡大以前から、この“豊かな”という形容詞は消えそうになっていました。何も不況は新型コロナがもたらしたものではなく、新型コロナ感染拡大以前から日本は不況に陥る入口に入っっていたのです。

ただ、新型コロナウイルスは、“豊かな”という形容詞だけでなく、もっと深い部分である“なんとか生活できる”という老後まで、根こそぎ消し去ろうとしているのも事実だと言えます。

新型コロナウイルス感染による被害は「健康被害」と「経済被害」、まさに人々に、大きな“不安”をもたらしたことになります。

「“今”の収入」を消し、さらには「“将来”の収入曲線」をもかき消したのです。

でもよく考えれば、それはコロナ以前から「“将来”の収入曲線」は見えづらくなっていました。コロナが消えかけていた将来の収入曲線を、完全に消し去ったのかもしれません。

新型コロナウイルスが、いずれ訪れる「不安な状況」の訪れを、早めたのかもしれませんね。

このままだと、“豊かな”という形容詞が、“なんとか生活できる”という言葉にすり替わっていくようで、それ以上に“生活ができない”老後になることが、現実味を帯びてきたように感じてきました。

老後難民、老後貧乏…

コロナか以前から叫ばれていた言葉ですが、今はとても恐ろしくて直視したくない、そんな思いがある言葉になってしまっています…

処方箋はあるのか…

コロナ後の社会を予想する

多くの人々は、新型コロナ感染が収まり、経済がもと通りになる、普段の生活が以前の状態に戻るということが待ちこがれています。

そのためには、ワクチン接種が進み、さらには特効薬が開発され、その効果が認められることが必要になります。

でも、本当に“コロナ以前”の社会に戻ることができるのでしょうか…

ワクチン接種や特効薬開発が順調に進んだとしても、社会的距離(ソーシャルディスタンティング)は引き続き意識され、以前のような、客席満席前提の商売はできなくなることが予想されます。

いわゆる「8割経済」は続きます。

売上は、大きく減少することを前提にビジネスプランは考え直さなければなりません。

「8割経済」でも売上を上げるために、

   客単価を上げる、そのための付加価値をつけることを考える…
   今の事業の延長線上で新たな形態を考える…
   思い切って業態変化に挑戦する…

また、社会のあり方も変わります。「リモート」が様々な分野で求められる社会が継続されることは、間違いないでしょう。

これからは、社会変容が強く求められてくると思われます。

そのためにテクノロジーの発展が以前に増して求められ、様々な分野でロボットが活躍し、無人オペレーションシステムやAIが広く導入され、今以上に人の手を必要としない社会になっていくと思われます。

そのスピードは、想像以上に早いことが予想されます。

そのことで、人の働き方が大きく変わることは否めません。

企業側の財政面でのダメージも影響があります。

今までの給料保証はできず、大手を含め、従業員に「副業」を奨励する動きが加速されると思われます。

それは、企業側にとっては、社会保険料負担が減ることになり、従業員側にとっては、厚生年金保険料が減る分、将来の支給年金額も今の水準よりかは大きく下がることが予想されますね。

つまり「ポストコロナ社会」とは

  • 8割経済
  • 非接触社会
  • 脱会社依存(制度依存)の強制

だと言えます。

そもそも年金制度が維持されるかどうかの問題もあり、今の年金制度が、巷で言われる「ベーシックインカム制度」に移行していることも予想されますね。

集団よりも「個」の存在が大事

今まで検証してきた「ポストコロナ」の流れから、新型コロナウイルス感染拡大が収束した後の社会は、社会構造が「集団から個へ」と移行していくと思われます。

“集団に属する個人”というよりも、“集団から独立した個人”の価値が求められるのではないでしょうか。

「リモート」が会社の中心に据えられることから、勤務評価も、「メンバーシップ型」の働き方から「ジョブ型」の働き方が求められてくると思われます。

企業に務める従業員が副業をするのは「当たり前」の社会風土になってくるでしょう。

   「集団」から「個」へ…
   「制度依存」から「自助努力」の世界へ…

これれからはますます、個人が発する「社会的価値」が重要になってくると思われます。

それは社会における存在意義もそうですが、会社のブランドにすがることではない、個人のブランディングが大事になってくると思います。

   自分には何ができるのか…
   自分に何が足りないのか…

それをよく考えることが、何よりも大事になってくると思われます。

ポストコロナ社会の生活設計

不安の正体は「お金がない」、それは現時点でもあり将来に渡ってでもあり、時間軸で言えば今から未来に向けての間に「お金がない」状況が予想されることにあります。

何よりも「収入を増やすこと」、これしか解決方法はありません。

家計収支改善の目的は

   収入と支出のバランスを調整して余剰金(過程内フリーマネー)を作ること

にあります。

単なる収支改善ではありません。もう少し言うと「収入 = 支出」ではなく、家計を「収入 > 支出」にすることで、家庭内余剰金(企業で言う内部留保金)を生むことが、終始改善お目的になります。

輸出削減のポイントは「“所有”から“共有”へ」

支出削減は「節約」というイメージがあるでしょうが、少し角度を変えて

   今の生活を楽しむことに邪魔なものを排除する…

という考えに立って、必要不要を効率的に考えるのが良いでしょう。

節約が趣味の人は良いですが、生活レベルをダウンサイジングするのではなく、メリハリを付けた費用投入を考えるということで、生活を見直してみましょう。

細かく項目ごとに“ケチる”のではなく、非効率、つまり他に代替できるものがあるものは費用がかからないものに変えるという発想で見直すことができるかと思います。

質を変えずにコストを下げる発想です。

わかりやすいのは携帯料金です。

三大キャリア契約ではなく、格安スマホにするだけで、毎月のスマホ料金を大きく抑えられます。三代キャリアの新しい料金プランもかなり安いですからね。

ポイントは「“所有”から“共有”へ」です。

マイカーではなくカーシェアリングに切り替えるのも、その一つです。

またテレワークは、生活コストを大きく下げることができます。出社義務がなければ、敢えて都心に住むことはなく、少し離れたところに住めば、生活コストそのものが安く抑えられます。

持ち家よりも賃貸がおすすめです。

自動車維持費用(自動車税やガソリン代等)や、マイホームコスト(固定資産税や修繕費等)をなくすことを「効率的」と考えられるかどうかです。

自動車もマイホームも、所有期間とともに価値が下がるもので、資産ではないということを認識しましょう。単なるコストであると割り切ります。現金化しづらい、また購入時よりは価値が下がるというのは事実ですからね。

マイホームを持つことが夢なのか、その家で何かを生み出すのが夢なのか…

所有欲は権力欲でもあり、自己優位性を誇示するものなのかもしれませんが、どう生きるかを考え、何に価値を置くかを、もう一度見直して見ましょう…

大事なのは収入手段「複数確保」

支出削減には限界があります。もうこれ以上削減できないという臨界点があるのではないでしょうか。

そうなると大事なのは、収入をどれだけ増やすことができるかということに絞られます。

収入を増やすには、一つのところからの収入を増やすか、複数の収入源を持つかということになります。

複数の収入源確保手段を持つことは、収入源の分散にも繋がり、収入を一一か所に依存しない体制を作ることができます。それはいざというときには役に立ちます。

他の収入源を得る手段が「副業」で、ポストコロナ社会では、大企業においても全面的に認め奨励する方向にあると思われます。

「パラレルキャリア」というのがあります。「本業を持ちながら、第二のキャリアを築くこと」と定義されていて、副業が金銭的な報酬を得ることを目的としているのに対し、パラレルキャリアでは自分のスキルアップや夢の実現、社会貢献活動などのために活動します。

できれば収入源として考えたいので、新しいキャリアからも、収入が得られるようにすることを考えましょう。

副業は、労働収入だけでなく、ビジネスを起こすことも考えられます。また、投資やトレード、アフィリエイトなども、大事な収入源になります。

自分にあった方法を考えることが大事です。

   自分に何ができるのか…
   今の自分に何が足りないのか…

それを常日頃から自問自答して、早く副業に着手することが望まれます。

その差異、税金や社会保険の問題も絡んできますので、良きアドバイザーを求めることが大事です。

特にビジネス収入を模索する際には、一人で考えているとアイデアが偏る場合がありますので、様々な人との意見交換の場を模索するのが良いでしょう。

投資やトレード手法も、じこりゅうよりお学びを求めて、成功者の経験談を聞くのも非常に参考になります。

どの道にも先駆者という人はいますし、ロールモデルと呼ばれる人はいます。そういう人を探して、積極的に接触する努力を惜しまない姿勢が大事になってきます。

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