ライフプランという言葉が大嫌い・・・古い価値観の“テンプレート”になっているようで…
「ライフプラン」という言葉がいろんな場面で使われるようになりましたが、ずっとその意味なり使い方が理解できませんでした。言葉自体があまりにも曖昧で「人生」とか「将来設計」という、ライフプランということばが示す範囲が広すぎるせいなのか、どうも具体的なイメージが掴みづらい表現のように思えます。
そのような状況で色んな場面で使われるうちに、この言葉にたくさんの“イメージの垢(あか)”がついたような気がします。
つまり、「ライフプラン」というのが、人生設計の“テンプレート”になっているように思えて仕方がないのです。
「こうあるべき」というかつての人生の価値観が刷り込まれている、ライフプランということばに昔からの型にはめた将来像がこびりついているように思えるのです。
しかし、これからのポストコロナ社会においては、今までの「定番人生」とも言えるライフプランは成り立たないように思えます。もうすでに、かつてのテンプレート通りには将来像は描けなくなっているということで、いつまで古い意識で「人生は“こうあるべき”」という概念を振りかざすことに意味を持たなくなったと思います。
ニューノーマル(新しい常識)...
コロナはすべての価値観を変えました。
もともとテクノロジーの進化やAIの発展により、いずれは人生における価値観が変わることを理解しなければならなくなるところだったのですが、新型コロナウイルス感染拡大で、そのタイミングが早くなり、かつ、意識の変革を強く求められるようになったのです。
人生の目的を考える
人生は何のためにあるのか、自分は何のために生きていて何をなすべきかなのか...
哲学的なり宗教的と思える問いに対して、今こそ真剣に向き合うべきなのかもしれません。
ライフプランのテンプレートを具体的に考えると
学校を卒業して就職、結婚して子供を育て、給料から頭金を貯めて住宅ローンを組んでマイホームを取得、 定年後は海外旅行などで楽しむ...
このことを前提としたプランニングは、本当に必要なのでしょうか。
価値観が変わる...
ポストコロナ社会ではコロナがあることが当たり前となっていて、ソーシャルディシングが前提の社会であることは避けられません。経済は縮小を余儀なくされます。
すべての基準は大きく変わります。スタンダードの概念が変わるようで、当然、ライフプランのテンプレートそのものも変わることでしょう。
多種多様な生き方にそった、それぞれの独自のあり方にそった生き方が求められそうです…